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アウトドアフリークが集う、軽井沢の秘密基地「Coffee House Shaker」

高原の避暑地として知られる軽井沢。浅間山山麓の豊かな自然が広がる地域は、国内屈指の別荘地であり、冬はスキーリゾートとしても親しまれてきた。そんな軽井沢に、アウトドアフリークたちから支持を集めるカフェ「Coffee House Shaker」がある。オーナーの黒澤進さんは、キャンプやハイク、フライフィッシング、さらにはスノーボードまで、多彩なアウトドアアクティビティを楽しむ、まさに自然遊びの達人だ。20年以上にわたってカフェを営み、軽井沢の自然を知り尽くした黒澤さんに話を伺った。

旅行者で賑わう駅前の喧騒を抜け出し、国道から路地を進んでいくと、木々に囲まれた白い建物が見えてきた。「Coffee House Shaker」という店名にあるとおり、建物はもちろん内装や家具は、アメリカのキリスト教の一派・シェーカー教の文化にインスパイアされている。シェーカー教の世界観は、実用的でありながらシンプルなデザインによる機能美が特徴。また、生活を支える自然への敬意から生まれる文化をもち、アウトドアライフを送る人たちからの共感を呼んでいる。

浅間山から吹いてくる風が心地よい夏の朝。カフェのドアを開けると、黒澤さんがコーヒーを淹れながら出迎えてくれた。

一軒家カフェとして軽井沢に根ざすまで

黒澤さんが「Coffee House Shaker」をオープンしたのは1999年。軽井沢でアルバイトを転々とするなかでコーヒーに出会い、喫茶店で働くうちに「自分でもコーヒー屋さんをやりたい」という思いが芽生えた。

「出身は群馬なんです。実家はこんにゃく製粉業で、芋を農家から買って粉にするのが仕事だった。稼働するのが秋の収穫時期だけで、1年に3ヶ月くらい。それ以外はヒマ。親はゴルフをしてたけど、俺はどうしてもそれが嫌で(笑)。20歳くらいかな、旧軽井沢でアルバイトをはじめた。

アルバイト先を転々とするうちに、珈琲歌劇っていう駅前のロータリーにある老舗の喫茶店に通うようになって、ひょんなことから働くことになった。軽井沢で有名な丸山珈琲ってあるじゃない。当時、そのオーナーの丸山健太郎さんが珈琲歌劇で働いていて、『焙煎士として独立するから黒澤くん代わりにやらない?』って。ただコーヒーが好きで飲みに行くだけだったんだけど、気づいたらコーヒーの世界にどっぷり」。

自分で店を持つ。その夢に向かって、黒澤さんは中軽井沢の唐松林に土地を見つけ、建物づくりに取り掛かった。「軽井沢らしいお店にしたかった」という黒澤さんがコンセプトに据えたのは、アメリカのシェーカー教の意匠と文化だった。

「ずっとアメリカのアンティーク家具が好きで洋書とか見てたんだけど、かっこいいなって思ったのが、だいたいシェーカーだった。調べていくとキリスト教の一派だということがわかった。現地の雰囲気も軽井沢に近いし、『お店をやるならこれがいい!』って。アンティークを好きになったのは、軽井沢という土地柄かな。いろんなお店とか別荘に、当たり前のように素敵な家具がある。アンティーク市に行くのも好きだったから、ちょこちょと買ったりしてはいてさ」。

建築を手がけたのは海外の輸入住宅メーカー。100%自由設計で、シェーカーの家をモチーフに夢を現実のものにしていった。

「輸入住宅だし、すごくお金がかかる。だから予算を合わせるために内装と家具は自分でつくった。テーブルとチェアはキットを買って、ひと冬かけて自分で組んだんだよね」。

自然暮らしの師・田渕義雄さんとの出会い

建物はなんとかできそうだった。しかし、ひとつ問題があった。シェーカーらしい黒いアイアンのドアノブがどうしても見つからなかったのだ。そんなとき、黒澤さんが見ていたテレビで紹介されていた作家・田渕義雄さんの家に、求めていたドアノブがあった。

「アウトドア好きなら知っている人もいると思うんだけど、田渕さんは日本の山暮らしのパイオニア。家には薪ストーブがあって、DIYで家具をつくって、フライフィッシングをしてという、自分にとって憧れのカタマリみたいな存在なんだよね。

でさ、テレビ見てたら『ああ、田淵さんの家にほしいのあるじゃん』って(笑)。でも、結構な人嫌いというのも知ってたから悩んだんだけど、お手紙を書いてみたの。『今、軽井沢でお店をやりたくて家を建てています』と。で、『田渕さんの家のドアノブが欲しくて』って。でも、やっぱり全然返事は来なかった。まあそうだよなあって思っていたら、いきなり電話がかかってきた。『よかったら遊びにおいでよ』と。すぐに飛んで行ったよ。

そこから田渕さんとの交流がはじまった。好きなアウトドアのこと、フライフィッシングのこと、山暮らしのことを話し、店づくりの内装についても相談に乗ってくれた。懸案だったドアノブは田渕さんと一緒にまとめて買うことになった。20年以上前でインターネットがない時代。FAXを送って買ったのもいい思い出だと、黒澤さんは昨日のことのように振り返る。

「ドアノブはもちろん、扉も、カウンターとスツールも田淵さんがオープン祝いでつくってくれた。『カウンターはいいやつにした方がいい』って田渕さんが言うからさ、俺も引くに引けなくなっちゃって。田淵さんが自分の家の家具のために仕入れた桜材の板を使わせてもらった。カウンターのスツールもそう。田渕さんの家具のおかげで内装が引き締まったよね。なかったらどうしていたんだろうってくらい」。

黒澤さんは、「俺はさ、ほとんど田渕さんでできているんだよ」と笑う。カフェをはじめるにあたって東京に出ていこうという気持ちは毛頭なかったという。自然の暮らしへの憧れをかたちづくったという意味でも、田渕さんの影響は小さくはなかったのだろう。

念願のカフェができた。しかし苦労が絶えない日々がつづく

黒澤さんにとって、軽井沢は馴染みのある土地であり、コーヒー店で働いていた経験もある。だからこそカフェを順調に運営できる見込みはあった。しかし、いざお店をオープンしたものの、集客に悩まされた。

「当時は一軒家カフェっていうのは珍しくてさ。しかも駅前でもなくひっこんだところでお店を構えたから、お客さんが全然来なかった。来たとしても夏の避暑の時期だけ。当時はいまみたいにアウトレットもあんなに大きくなかったし、冬は静まり返っちゃって。結局また季節産業なのかと頭を抱えたよね。

夜はコンビニでアルバイトをしてたくらい。まあ、カフェをやるってことを舐めてたんだと思う。秋に人気がなくなりはじめると、冬がもうすぐ来るぞ、誰もいない冬が来るぞって。夏に頑張った売り上げが目減りしていく恐怖で眠れなかったもん。お店は次男が生まれたばっかりのときに開けたから、子育てもあった。27歳の頃かな。何にもわかってなくて、勢いでやっていたんだよね」。

遊びを通じてつながるアウトドア仲間

コーヒーだけでなくケーキをメニューに入れたりランチプレートをつくったりと、試行錯誤をつづける日々。そんななか転機をもたらしたのは、好きだったキャンプ。実は、浅間山の麓にある軽井沢は自然豊かなキャンプ好適地。ちょうどキャンプブームが到来したタイミングで、キャンプイベントへの出店の声がかかった。

「イベントに出るたびに話しが合う仲間が増えて、みんなキャンプした帰りにお店に寄ってくれるようになった。冬のイベントでスノーボードも久しぶりにやったらすごく楽しくて、滑りの仲間もどんどん増えていったんだよね。ちょうどお店のメニューにバーガーを加えた頃で、いい感じに気に入ってもらえたんじゃないかな」。

キャンプやハイキング、スノーボード、そしてフライフィッシング。好きだった自然の遊びをつうじて、仲間ができていく。

「Y.M.O.の高橋幸宏さんも、お客さんっていうか、友達っていうか。10年以上前に、知り合いのお蕎麦屋さんに幸宏さんが来ていて、『夕方に釣りに行きたいそうなんだけど、どこかいいところないかな。黒澤くん案内できる?』って俺んところに電話くれて。結局幸宏さんと一緒に川に行って、魚も釣れて、気に入ってくれてさ。いつも『いま、どうかな、川』って電話が来るようになった(笑)。本当に家族みたいな感じで過ごせたのはいい思い出。

本当にフライフィッシングをやっててよかったなって思った。ある程度ひとつのことをしっかりつづけていくと、いい出会いがあるんだよ。カフェもそう。お店って自分の表現。それに共感して来てくれるのは本当にありがたい」。

キャンプや釣りを目的に軽井沢を訪れる仲間がカフェに立ち寄ってくれる。気づけば、「Coffee House Shaker」は、アウトドアフリークたちの秘密基地のような場所になっていった。

フライフィッシングは自然との対話

黒澤さんの最大の趣味はフライフィッシング。夏は仕事終わりに近くの川に釣り出かけるのがルーティーンで、大物を求めて遠征に出かけることもあるという。

「中学生の頃に田渕さんの本を読んでフライフィッシングをはじめたんだけど、お店がオープンしてからはお休みしてて。当時は『遊んでる場合じゃない、仕事やんなきゃ』って思いもあったから、釣りを一切やっていない時期があったんだよね。でも病んじゃってさ。好きなことをしないとおかしくなっちゃう。そこで吹っ切れたというか。釣りに出かけるようになった」。

車で10分ほどの場所がホームリバーで、毎日のように同じ川に通うこともあるという。とりつかれたようにフライフィッシングに出かける理由はどこにあるのだろう。

「フライフィッシングは自然のサイクルがわかってないと釣れない。魚って、川を流れてくる虫を水面で食べてるんだけど、時期によって虫が違うし、魚が食べるポイントも変わってくる。どんな色の虫が羽化して飛んでいるのか、虫が飛ぶ時間帯はいつなのか。それを見極めるのが面白い。虫のサイクルは、肌感で3日くらいで変わっていくかな。この虫が釣れるぞって思ってもせいぜい3日。1週間後には別の川になってる。だから飽きない。いつ行ってもこれで釣れるという定番がない。

季節の変化に敏感になるよね。自然はぜんぶ連動してるから、『この花が咲く頃には、この虫が出る』とかわかってくる。きっとそれは都内にいても気づける人はいるんじゃないかな。ベランダの植物とかでも季節の変化はわかると思う」。

黒澤さんにとって、フライフィッシングはもはや生活の一部であり、日常をなす要素のひとつだ。少し車を走らせれば魚が泳ぐフィールドがあり、自然との対話ができる。そんな暮らしを実現できるのが、軽井沢という場所なのだ。

「フライフィッシングを再開して、自然で遊んでる方がお客さんも仲間も増えていいことばかりだった。なんでやめてたんだろうって思っちゃうよ」。

軽井沢はあらゆる自然の遊び場

通常は10時オープンのお店を、冬は11時に遅らせている。その理由は、「朝イチでスノーボードを楽しみたいから」。なんとも黒澤さんらしい発想だ。スノーボードは軽井沢に来た理由のひとつであり、自然の中での遊びが限られる冬の大きな楽しみなのだ。

「お客さんが少ないリフトオープンから1〜2時間くらい。気持ちよくクルージングして、お店を開ける。行くのは湯の丸か八千穂、峰の原あたりかな。軽井沢には、ここから1時間くらいでアクセスできるゲレンデがいくつかあるんだよね。たまに、帰ってきたらお客さんが駐車場にもういて、ウェアのまま『ごめんなさい、いま開けるんで!』って(笑)。

軽井沢って、自然の遊び場としては最高なんだよね。山もあるし、川もあるし、冬は滑れるし。いろんな遊びができるフィールドとして、これ以上ない選択肢なんじゃないかな。

白馬だって2時間半くらい、志賀高原も妙高、野沢温泉も1時間半くらいで、周辺の自然へのアクセスもいいから、ハブとしての使い勝手もいい。でも軽井沢界隈でだいたい遊べちゃうから、結局ここが一番いいってなっちゃうんだけど。最近は駅前にパタゴニアの直営店もできたし、移住してくる人も増えて、『やっと気づいたか』という感じ。

山もちゃんとやりたいんだけどね。でもさ、行けるのって10月しかないんだよ。9月末まで釣りで、11月からスノーボードがはじまるからその間だけ。3、4月なんて、釣りもスノーボードもどっちもあるから不安定。だから車に両方積んで出かけていくときもある。春は忙しい。体がひとつしかないのが悔やまれるよね」。

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