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すべての人を包み込む愛深きタコス「Tacos 3Hermanos」

「Tacos 3Hermanos」は神出鬼没の名店だ。山中湖の本店とは別に、ある時は下北沢の商店街で、ある時は青山のファーマーズマーケットで、そしてまたある時は銀座のコリドー街でキッチンカーを出店している。そして、いつでも客足が絶えない。

筆者が最初にオーナーの古屋大和さんに出会ったのは、ちょうど1年前の夏、Tacos 3Hermanosが下北沢でイベント出店をしていた時。一瞬自分がメキシコにいると錯覚してしまうほどに、ためらいもなく流暢なスペイン語で話しかけてくれた古屋さんを前に、困惑を覚えながらも、その社交性と茶目っ気に「この人は完全に『Mexicana』だ!」と心の中で確信した。

今回は念願叶って、そんなユニークな古屋大和さんにお話を伺ってきた。

河口湖で生まれ育った古屋さんは、美術学校への進学を機に上京、在学中にレコード会社と契約し、音楽家としてのキャリアへ進むも、求められるアーティスト像と自身が目指す姿に乖離を覚えて、別の道を模索する。スケートボードの趣味から派生して取り組んでいた映像制作の経験やデザインのバックグラウンドを活かして、海外の友人たちとチームを組み、イベント企画や広告代理店の仕事を始める。国内外のクライアントからの仕事に忙しい日々を送る生活にのめり込んでいった。2011年の東日本大震災直後、未曾有の状況から母国への帰国を望むチームを他所に、平常運転を再開する社会のムードに違和感を覚え、その状況から逃げ出すようにイタリアの友人を訪ねた。

人生を左右した、友の一言

イタリアでの滞在中、気の置けない友人から放たれた一言が古屋さんの心のしこりの核心をついた。

「夕食の後に友人と月を眺めていたら、いつもは若い女の子を見ると、モッツァレラだとか、パルミジャーノレジャーノだとか軽薄なことばっかり言っている仲間に言われたんです。『大和は東京に帰ったらオフィスでずっと仕事ばっかりしてるんだろう。イタリアでも東京でもきっと同じ月を見ているけど、君が見てる月ってきっと僕のと違うよね。君の人生はどこにあるの?』って。その瞬間、自分の中で何かが変わったんです。そして、彼の言葉があまりにも的を得ていたのでイタリアから逃げ出すように帰国し、その後広告の仕事に戻る気持ちになれずそのまま仕事を辞めました。それほどまでに、友人の言葉が自分の心に刺さっていたのでしょうね」。

仕事をやめると、周囲の反応は大きく分かれた。「日本の人はほぼ全員離れていって、外国人からは賞賛された。世界と日本では生き方の質が異なるのだと気づいた。当時、東銀座に住んで毎日飼い犬の散歩をしていたんですが、行く先で出会う人に『人生探してます』っていうと、おかしな人って目で見られるのに、外国人のフラットメイトたちには『お前は勇気あるよね、最高!それともただの馬鹿なの?』って、正反対のリアクションに戸惑いました」。

言葉も知らない土地・メキシコへ

日本にいても、イタリアにいても友人に鉢合わせたり、仕事を振られる。以前と変わらない生活に終止符を打つために、そして自分のコンフォートゾーンから抜け出すために、新しい体験を求めて、一切言葉も喋れないメキシコへと移住した。「一番ハードな選択だったけど、それが必要だとわかっていたから単身で知らない国に飛び込んだんです」。

メキシコでは現地の人もその名を聞けば驚くような物騒な街に住み、文字通り崖っぷちの状況を3度乗り越えて、日本向けの輸出事業を始め、徐々に現地に溶け込んでいった。「日本に帰らずにこのままメキシコに残り、日系人社会を作ろう」。そう思っていた矢先に、日本からの報せが届き、両親の介護のため志半ばでメキシコを後にする。帰国してからは、24時間付きっきりで両親の世話をしながら、海外からのゲストにairbnbで部屋を貸し出し生計を立てていたが、新型コロナウイルスの感染拡大によるインバウンド旅行者の数が激減し、収入が途絶えた。その時に、メキシコ帰りの古屋さんが唯一できたことがメキシカンタコスのキッチンカー営業だった。

ローカライズせず、街角のメキシカンタコスの味を

古屋さんがメキシコで暮らし始めた頃、友人の実家に居候をしていた。言語も喋れず無職だったために友人の父親には嫌われていたが、なんとか信頼を得ようと、得意の料理を披露したところ大絶賛された。現地の人が作るタコスは見て食べて学んでいたので、本場の味が染み込んでいた。「メキシコでは、都市でモダンにアレンジされていたり、フランチャイズ化されたタコスもありますが、僕がいた街では浅草の的屋の焼きそばのように、地元民に愛されているローカルの味があり、きちんと守られているんです。僕がタコス屋を始めたのは、それしか選択肢がなかったからですが、そこで日本人の好みに合わせたものを作ることは最初から考えていなかった。調理器具から食材まで全て現地から取り寄せて、メキシコの街角で僕が食べてきた本物のメキシカンタコスを日本に紹介する。それがメキシコの仲間たちへの僕なりの敬意の表し方だった。そうでなければ、僕のタコスじゃないなと思ったから」。

メキシコ人に認められるTacosへ

「営業を初めてからは、SNS経由で在日メキシコ人コミュニティ、次いで海外からの旅行者のお客さんがどんどん増えていった。きっと、彼らも本物のタコスを求めていて、カチッとハマったんだと思います。そこから取材や出店の依頼が舞い込みました。自分ひとりで仕込みをして、運転して、あらゆるところへ出店しに行きました」。キッチンカーを始めてから1年後、イベント出店のために東京へ向かう道中、時速120キロで走行しているときに古屋さんは横転事故を起こした。「横転して何メートルもアスファルトの上を滑り続けたトラックが止まったとき、僕は無傷だったんです。とっさに『生きてる』と思った」。その日のうちにトラックを修理に出し、翌日には東京でタコスを販売したという超人的な出来事を聞きつけた日系メキシコ人YouTuberがこの出来事を動画で取り上げ、「命をかけてメキシコを伝えている」と彼を紹介したことで、古屋さんのメキシコでの人気はさらに高まった。「日本の絵馬のように、メキシコでは神への願い事や祈りが叶ったときにその結果を『エクスボト』という奉納画に描き、教会へ収める文化があるのですが、事故の翌月にはメキシコに飛び、ビルヘン・デ・グアダルーペ礼拝堂へお礼参りをしに行きました。現地の2都市でタコスのイベントを開始したら、噂を聞きつけた現地の人が100人も列を成してくれた。僕はそのイベントの成功で、メキシコの人にも認めてもらえたと実感して、メキシコ人のパートナーを仲間に迎えて、帰国して4日後には今の山中湖のお店を開業しました」。

「本物」にこだわる理由

Tacos 3Hermanosでは、輸送費などのコスト高になってでも、ほとんど全ての食材をメキシコから直輸入し「本物のタコス」を提供することにこだわっている。「メキシコの人に応援してもらって、日本でローカライズしたタコスを提供するのは違うと思っていて。この土地でど真ん中のメキシカンタコスを提供することで、本物の味を求める海外のお客さんが僕たちのところに集まってコミュニティが生まれる可能性もあるし、この味をきっかけに日本の人がメキシコに行きたいと思ってくれるかもしれない。何より、メキシコの人たちに自分たちの文化に自信を持ってもらいたいから。ラテンアメリカの人やメキシコの人たちは歴史を振り返ると言語や宗教を始め、民族としての価値観をことごとく奪われてきている。アメリカに移住した仲間はアメリカ的な価値観を身につけて母国に帰ってくるし、移住すると3代目、4代目になる頃にはスペイン語を話さなくなる。日本のメキシコ人コミュニティの子供たちも、自分の親が片言の日本語を人前で話すのを恥ずかしがって嫌がるんです。でも、僕はそれは違うと思っていて、僕と一緒に自分のアイデンティティに誇りを持って、それをかっこいいと思ってもらいたいんです。そうやって、色々な国の人たちが自分の出自に誇りを持って日本で一緒に暮らしていけることが素敵だなって思うんです。僕たちはみんなそれぞれが素晴らしいはずで、取り繕ったり背伸びしなくていい。自分になることを怖がらなくていいんだということを、僕のタコスを通してみんなに伝えたいと思っています」。

山中湖という運命の土地

最後に、山中湖という土地が古屋さんにとって、どんな場所かを尋ねると思いもよらない答えが返ってきた。

「僕の母の実家は、富士吉田で160年以上続く葭之池温泉を代々経営していて、同時に冨士山下宮小室浅間神社で800年以上続く『筒粥神事』という伝統行事で占人(うらびと)として守り伝えています。そんな出自のせいなのか、僕はいろんな土地で暮らして、喜びや悲しみ、恐怖から死までおそらく全ての感情を経験させられて、この場所に戻されたんだと思います。

この土地には、山中湖、富士山、そして富士山本宮浅間大社で祀られる木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)がある。実はメキシコシティにも、ポポカテペトルという高い山、ソチミルコ湖、そしてビルヘン・デ・ラ・グアダルーペ(褐色のマリア)を祀る礼拝堂がある。僕がメキシコに行ったのも、この土地に辿り着いたのも僕の意志で選んだというよりかは、そういう運命だったのかなと思っています。

もっとシンプルに捉えると、東京みたいに物と物の距離が近すぎてなかなか遠くが見通せない場所から山中湖に来ることで、遠くにボートが走っているとか、山の向こうに雲があるとか、そういうことを体で感じることができる。自然の中にいるときは、一度俯瞰で自分を見つめることが大切。そうすることで、今の自分の心や身体のバランスがわかると思うんです。するときっと、自分は何を一番欲しているのかも、自ずと見えてくるんだと思います」。

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