食を体験へとアップデートする孤高のイタリアン「青」
千葉県、一宮市。太平洋に面した九十九里浜の南端に位置し、良質な波が打ち寄せるビーチは関東屈指のサーフィンスポットとして親しまれてきた。
海沿いの大通りにはサーフショップや西海岸のテイストを感じさせるレストランがひしめく。そんな一宮に、ユニークなイタリアンがあると聞いた。その名は「青」。厳選した地元の食材をつかった料理にくわえ、食を体験へとアップデートするコミュニケーションも魅力だという。訪れた人は口を揃えて「訪れるたびにおいしい食材に出会える」「リクエストで料理をアレンジしてくれる」と話す。
一宮の知られざる側面を探しに、賑やかな県道から離れ田園地帯へと車を走らせた。
柔らかな光が差し込む昼どき。ランチタイムを目掛けて「青」へ。県道から1本道を外れれば、のどかな田畑が広がる。目立つ看板もなく、佇む白い建物。大きく自由に茂ったオリーブの木の木陰で、見慣れない鶏が餌をついばんでいる。「烏骨鶏です。放し飼いになっていて、店のまわりで暮らしているんですよ」と、オーナーの片岡晃一さんとパートナーの有紀さんが出迎えてくれた。
割烹から、イタリアンの道へ
店内には、アンティークの家具やオブジェ、漂流物がちりばめられ、窓の外には里山の景色が広がる。すっと背筋が伸びるようでありながらも、心地よい空間だ。
「ちょうどマコモダケが入っています。ぜひとも味わっていただきたい食材です」と、有紀さん。メニューはアラカルトのみ。基本的なメニューはありながらも、旬の食材とこだわりの輸入食材を組み合わせることで、ゲストの好みやリクエストにあわせてアレンジしてくれる。「今日は、香りがよく生のままいただく定番のマッシュルームのサラダ、南房総の完熟イチジクもありますよ。イチジクは、わたしたちが一番好きな食材で、甘さ、コク、食感、どれも最高。自家製の酵母のパンとサラミと合わせてお出ししますが、一緒に食べて甘味と塩味を楽しむのも、別々に素材の味を感じていただくのもいいですよ」。
「青」がオープンしたのは2016年。もともとオーナーの片岡晃一さんは実家が割烹料理屋を営んでいたこともあり、一度は家業を継いだのだという。しかし、ワイン好きが高じてイタリアンの道へ。割烹の仕事を終えてから東京まで車を走らせ、イタリアンやフレンチのレストランを巡ったのだという。
晃一さん「通ううちに、自分が好きなお店がわかってきました。共通するのは、どこもオーナーシェフのレストランだということ。この人の料理を食べたい、という思いですよね。顔が見える、人柄が伝わる、コミュニケーションを楽しめる。それができるレストランをつくりたいと思うようになりました」。
選んだのはイタリアン。何時間もかけてソースをつくることもあるフレンチとは違い、よりアドリブが効き、食材のよさを活かしてつくれるイタリアンが性に合っていたと感じた。晃一さんは、「メニューはあるけれど、その場の会話でアレンジした料理を作るスタイルに惹かれました」と振り返る。和食に精通していたこともあり、食材の下処理や調理には造詣がある。食材のよさを引き出しながら、自分らしいイタリアンを追求していった。
シェフの晃一さんとゲストをつなぐのが、有紀さんの役割だ。人気メニューになりつつある肉厚なマッシュルーム、近くの農家さんが最近つくりはじめたというヤギのフレッシュチーズ、これ以上のものはないというジューシーないちじく、地元の漁港で上がったヒラメなどなど。食材のストーリー、おいしさを引き出す調理方法。話を聞いているうちに、「青」の世界観に引き込まれていく。食材から広がるアレンジされたメニューこそ、「青」の魅力なのだろう。
有紀さん「メニュー表に書くだけでは伝わらないことがあるんです。お話が少し長くなってしまうのですが、ひとつひとつ丁寧に説明させていただいています。食材が10あれば、全部説明したい。思い出に残る食事になったらいいなと思っています」。
理想の追求がうみだすアラカルトのスタイル
「青」にとってのスタンダートともいえるアラカルトだが、レストランのオペレーションという視点では、途方もない労力がかかる方法を選んでいるようにも見える。しかし、その手間にこそ、レストランを営む意義があるのだと晃一さんは考えているようだ。
晃一さん「実は、お店をオープンした当初はランチプレートをやっていたこともあるんです。もちろん内容は充実させていましたし、お客さんからの評判もよかった。でも、自分がやりたかったのはこれだったのかなと疑問を抱くようになりました」。
かつて割烹料理屋で働いていた頃は、仕出しのお弁当を手がけることもあった。でも同じメニューばかりをつくるのは向いていない、もっとゲストとコミュニケーションをとりたい。気分やシーンに合わせて料理を選んでもらったり、好みを把握した上での提案をしたい。そういった「余白」にこそ、やりがいを感じたのだろう。多彩な食材を、料理を楽しんでもらうには、やっぱり前菜からメインまであるアラカルトがいい。
有紀さん「使っている食材は季節ものがほとんどで、あまり知られていないもの、ピンポイントで旬なものなどもあります。なので、いつも同じメニューで同じ味というはできないんです。でも、それだけ一宮にはいい食材が揃っているということ。生産の背景も含めて楽しんでいただきたいと思っています」。
食材選びの基準はおいしさと生産の背景
ふたりと話していると、つぎつぎと食材やその生産者のエピソードが飛び出してくる。千葉は農産地としては知っていたが、こだわりをもった生産者がこれほどまで多いのかと驚いた。
晃一さん「最近は、このあたりで生産しているヤギのチーズがイチオシ。つくっている人がすごく面白いんですよ。お客さんとして来てくれていた方なのですが、チーズができたので試してみませんかと。気になっちゃって、伺わせてもらったんです。何年もかけて開墾したという山でヤギが自由に草を食んでいて、チーズも昔ながらの方法を研究してつくっていたんです。そこで食べさせてもらったら、すごくおいしかった。
もちろん、料理として提供するので、大事なのは味。いくら友達でも兄弟でも、食べておいしくなかったら使いません。だから嬉しかったですね。ああ、ちゃんとおいしい。これは使いたいと。はじめてのロットは常連さんに出しました。で、どうですか?って。もちろん絶賛してくれて、その声を生産者さんに伝えると喜んでくれる。これもやりがい、いきがいだなって」。
農作物にも目を向けてみると、一宮周辺には、人の暮らしを支える里山文化が広がり、独自のスタンスで農業や酪農に取り組む生産者も多いことに気づく。一宮は、多様な自然と文化が息づく場所なのだ。
有紀さん「お店をはじめる前から、生産者さんを探していたんです。割烹料理屋で働いていた頃は、大多喜町のハーブ園のイベントに参加して、自然派のワインやバーニャカウダを提供していました。もう10年くらい前でしょうか。地元の生産者さんたちに出会うことも多く、たくさん刺激をもらいました。それぞれがポリシーがあって、こだわって生産している。個人的な力が強い人が、千葉にはたくさんいるんだなと。仲よくなったトマト農家さんがいすみ市の方だったり、一宮だったり、縁があったんです。だから、ここでお店を開いたのも自然な流れだったのかなって」。
暮らしを大切にする営業スタイル
「青」の営業時間は少し特殊だ。基本的にはランチ営業で、ディナーは土曜のみ。
晃一さん「以前はランチもディナーもやっていたんです。でも、ランチが3時頃に終わって、片付けたらもう夜。休憩もほとんどないし、子どもたちにもちゃんとしたご飯をつくってあげられない。そんな生活をしていたら、いい料理なんてつくれないと気づいてディナーをやめました」。
有紀さん「時間に余裕ができたぶん、料理の勉強をしたり、生産者さんと話をしたり、食材を探しにいったりと、視野が広がりました。ランチはサクッと食べたいという方が多いかもしれませんが、ゆっくりと時間を過ごしていただく。この贅沢さを知った方はリピートしてくれますし、その体験を目掛けてきてくれます。ちょっと変わった営業スタイルなのですが、だんだん定着してきたのかなと思っています」。
旅の合間に空腹を満たすだけであれば、手軽な店はいくつもあるだろう。しかし、旅行者にとって、食はその地を体感するためのひとつの手段として捉えるのであれば、「青」は、魅力あふれる土地と旅行者をつなぐ架け橋になりうる。そんな確信を胸に夕暮れに包まれる店を出た。最後に、晃一さんに店の名前の由来を聞いた。「青二才とか、青臭いとか。まだまだ未熟なので、そんな意味です」。きっと次に訪れる頃には、さらに進化した「青」になっているのだろう。一宮という街へ、そしてこの孤高のイタリアンへと通う理由が、またひとつ増えてしまった。
店舗情報